宍道湖と日本海に挟まれ、海、山、湖、川と自然に恵まれたこの町はかつて木綿の栽培が盛んなことで有名でした。千七百年代初頭から綿作が始まり、後期からは他国に販売。藩が品質管理を徹底させたため、大阪三井は買方を派遣するなど、上方でも雲州木綿の名で高い評価を得ていました。明治には生糸に転換して紡績工場ができ、工業都市に発展したこの地域は、商人町として賑わい、人口も大幅に増えました。
宍道湖につながる運河「雲洲平田船川」には、多数の帆船が往来し、昭和二十六年頃までは松江との定期船便もあり、「小路」や「かけだし(荷揚場)」などに往時をしのぶことが切妻妻入塗家造りの家屋や、白壁の土蔵が並び、一見質素に見える外観ですが、材木や塗り、襖絵、内装など、こだわっている家が多く、当時の豊かさを感じます。
街を歩くと目にとまる「左桟瓦」や「なまこ壁」、「格子窓」の連なる町屋などが今も残り、老舗の酒屋、醬油屋、和菓子屋なども伝統の味を守り続けています。古い町なみと今の暮らしがほどよくとけ込む「木綿街道」は、しっとりと落ち着いた風情を楽しめる貴重な場所となりました。